3日に南三陸町にジョネットサロンで伺った際に、志津川高校野球部へ 支援物資を置いてきました。
野球部員は3月11日の地震当日、グランドで練習中でした。
「津波が来るぞ!」という声を聞いて、部員たちは校庭から少し低い場所にあった老人施設に向かいました。
車椅子を押したり、手をつないだり、負ぶったりして高台の志津川高校まで連れてきました。
その直後にあの志津川(南三陸町)の町が消滅する大津波があったのでした。
部員たち、監督、の家族も被災しています。
心から支援したいと思いました。
しかし、
3日以来、物資が届いた、という連絡がありませんでした。
が、関係者から今日電話がありました。 カラクリがわかったのです。
志津川高校は今体育館が避難所、校庭が仮設が建っているので、生徒たちは二つの高校に分けられて授業を受けているのでした。
校舎は教師も生徒も入れないセキュリティ会社で守られて、土日ガードマンがいるときのみ了解をもらって入室、ということだったそうです。
そういうわけで、支援物資は未だに部員たちに届いていない状況だったのです。
あの時担当ガードマンさんに よく説明をするべきだったのですね。
今日改めて、せめて、甲子園予選(対岩が崎高校)の始まる10日の前に届かないかなあ・・・と思うおばちゃんでした。
高校野球ファンのおばちゃん
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