かみの家おかみから聞きました。
彼女の置かれた現状が まさに今の津波被害地の現実だと思います。
23日の民宿再開に向けて がんばってきた。
水道は玄関までとっくに来ているのに 建物には来ていない
月浜は小さな浜の中に20数軒の民宿があったのですが、かみの家ともう一軒の民宿だけが少し高台にあったために建物は助かりました。
しかし、地盤沈下と地震の爪あとはかなりのもので 建物裏に回ると壁が傷んでいて、特に風呂やトイレなどの損傷が酷かったのです。
以前からの水道工事さんが来て見ていき、「あとでくるから、」と言ったきり来てくれない。
再三 電話をしてみたが 「人の手配がつかない」という。(以前は材料が入らない、だった)
その業者のことはあきらめて、 民宿を建てた大工さんに頼んだ。
彼から別の水道工事屋さんを手配してもらった。 しかし、そちらは自分が請け負った建物ではないので、折角大工さんが修繕したところを壊しながら、配管をチェックしなければならなかった。 その作業がとっても大変で今も続いている。
もうひとつ問題があった。 浄化槽が建物の直下に埋め込んであった。
そこは津波の瓦礫が留まったところだった。 瓦礫撤去のクレーン車が入った。すでに浄化槽のふたもなく、このままでは使えないことがわかった。
浄化槽を新たに考えなければならない。場所をどこにするか、設置していいかどうかも。
仮設トイレしか使えない、ということも民宿再開に問題。
この地区の再開発について 行政や大学教授、建築関係の方たちが来てくれて 4回も会議がもたれた。
夫もこの月浜の開発地図を提示している。
危険な海岸は公園化して住民が高台に住むような案を示した。
漁業とともに、奥松島の景観を生かして、漁業体験や海で遊ぶ体験ツアー。
そこに一部の住民から強力な反対の声がある。
反対派は「なにも観光化しなくてもいい。 自分たちは魚を獲って、海のそばに家を建てて暮らしたいだけだ。」
夫は、「このまま行政の話も聞かずに 近くに住んで漁業をやっても、国や行政から援助はない。 将来を見据えた計画を立てなくてはならない」と力説するが、会議にも住民たちは一人欠け、二人欠けと会議として成り立たなくなってきた。
仮設住居はできたけれど、いまだに入れない。
電気製品が手配できていないから、だそうだ。 当初は7月中に入居できるという話だったが、いまだに説明会も行われていないとか。
いまだに 避難所暮らしが続いている住民のみなさんの焦り。
これからのことを考えよう、次世代を津波被害から守ろうという思いと、目の前にある海と今までどおりの生活でいい、という人たちの思いが交錯している。
24日の 「女たちの語り場」にはそのような現実をおかみに語ってほしいし、ほかのところの現状を聞くだけでも、共感や今後への何かのヒントがあるかも知れない。
昨夜もう一回、と思っておかみに電話をしてみた。
ここの住民だったとても恩のある方が昨日亡くなって、地区の人たちと一緒に お葬式に向かわねば、とのこと。 残念!
3月11日の 大地震と大津波。 あれから4ヶ月以上も経った。
月浜の現実と同じことが この長大な津波被害地ではたくさんおきていると思う。
視点を目の前に下ろすか、少し先に向けるか。
何世代も仲良く培ってきた浜の皆さんの心が 活気を取り戻すようにするには具体的にどうすればいいのか。
せっかく ひとりも犠牲者を出さずに津波から逃れた命ですものね。
おかみの先輩
0 件のコメント:
コメントを投稿