説明


2011年3月11日東日本大震災ではあまりに多くの方が数多重被災されました。衷心よりお悔やみとお見舞を申し上げます。

みやぎジョネット(みやぎ女性復興支援ネットワーク)は、東日本大震災を受け、被災地女性と全国支援者の思いを結ぶことを目的に 発足したNPO団体です。各種支援プログラムにより、お一人、お一人の女性が今後の生活を新しくつくっていけますように、ひいては皆の光となることを願い支援してまいります。また、女性のニーズを調査し、政策へ提言いたします。       ―みやぎジョネット会員の多くは被災女性です―

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2011年8月31日水曜日

一つ星金賞を受賞

被災地の皆さんに、温かいお茶を飲んでいただきたい。
そんな思いから美味しいお茶をご提供くださった一心園さん。
皆さんに届けられたそのお茶が、国際的な食品コンクールで一つ星金賞を受賞しました。
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2011年8月30日火曜日

8月の赤い田んぼ

3が月ぶりの再訪~ご高齢の方々に、介護用おむつ類をプレゼントして参りました。
亘理町、山元町、6号線の両脇には赤い田んぼが広がっていました。

塩害にやられた田んぼ

緑は雑草です 瓦礫の山にも雑草は繁っていました
塩害にやられた田の土を掘っていました

気持ちの良い秋空、お庭に見つけた花々 





ほっとするひと時


全国の皆様から、連日のように温かいご支援のお品物が届きます。

被災地の皆さんやジョネット宛のお手紙が入っていたり、
ラッピングした1つ1つにメッセージカードを貼って下さったり、
様々な趣向を凝らして送ってくださいます。
「お役に立てればとてもうれしいです」と短い一文を入れてくださる方もいらっしゃいます。
倉庫整理の重労働の合間、独り占めして拝見するこのメッセージ、何にもまして癒されます。

心から皆様に、ありがとうございます!!!

ブログを見てくださったのですね

南相馬行

原発問題、とかくニュースで聞く数値を気にしがちですが、
永く南相馬にお住まいの方によりますと、
「蟻がいない・くもの巣が張らない・トンボを見ない・真っ黒い塊になってブヨが群がる」
これが現実だそうです。



海岸から2㎞ほどのところ
目で見える限り奥まで、船がごろごろ転がっていました
酷く壊れているようには見えませんでした

みやぎジョネットで真っ先に手を上げたにもかかわらず
真っ先にお話から降りた支援車両に出会いました
あー、事務局が欲しがった車…

ガイガーカウンター 
しかしこのようにして計測するのではないそうです

男性から、お礼状をいただきました


2011年8月25日木曜日

被災地ボランティアお礼と感想

先日の仙台訪問の折には大変お世話になり、ありがとうございました。
避難所の空気、女性と子どもたち、石巻や女川の風景にふれて、
福岡に帰っても様々な思いが浮かんでは消え・・・自分の日常が変わったのを感じます。
東北の天気やニュースが毎日気になります。

みやぎジョネットの皆さんの温かく真剣な支援、必死の思い、避難所でお会いし、お話を伺えた方々の「このままでは終わらない」という強い意思・・返って私の方がエネルギーをいただきました。

今、地震後のさまざまな問題、いざこざ、将来への不安などが渦巻いているのでしょう。
福岡からも関心を持ち続け、友人たちに伝え、回復、復興へ向けて応援して行きたいと思います。

皆さまの健康そして被災地の復興を心からおいのりしています。

まさよ                        (頂戴したメールより)

7,80代の方々

70、80代のみなさんから、ごはんはかたく、刻み食といわないまでも高齢者向けの食事を頂きたい、高齢者向けの衣類が欲しい、とお聞きしました。
しかし皆さんが抱える一番の問題は、この年齢で負った心の傷です。ひとまわり以上も若々しくみえる動作から、その深刻さを感じました。
異口同音に、夢はない、やりたいことはない。これからの生活をどうやっていくのか… と。
県外に嫁いだ娘から来るように誘われるが、同居によって起こる問題や友人の顔が見れなくなることを考え、一人仮設住宅で生活することにした、というお話も多く伺いました。
ジョネットでは、皆さんそれぞれに喜んでいただけそうな下着類や、体調を崩した時に重宝する女性グッズをも意識して、いろいろお届けしてまいります。身の回り品へ配慮することで、皆さんのお気持ちが少しでも軽くなればと願います。
避難所になっている中学校正門の様子

軍手人形作りに夢中のご婦人
たまたま一緒にいた息子さんに手を引っ張られるようにして
「走れ、走れ」って言われて逃げたの、と話されました
外に出たり敷地内の作業をするに必需品の長靴でしたが
今まであまり関心をもたれませんでした
仮設住宅へのお引越しに伴い
このところ、皆さんに喜ばれます
女性用の長靴はなかなかないそうです

亡くなった夫のための陰膳でお好きだったビールを添えています

お盆後1週間

石巻市内避難所
8月21日、午前中一杯かけて震災後初の大掃除が行われました
これからはこのダンボールベッドで寝ることになりました
石巻市内避難所
桃を食べるにも、外の水場で洗ってからになります
石巻市内避難所
避難所内に風船があがっていました
小さいお子さんの姿を見るのはとても珍しいです
石巻市内避難所
お母さんを亡くされました
石巻市内
お盆 ご自宅跡に生花をあげられたようです
石巻市内
石巻市内
女川町立病院1階 受付は外階段を伝って2階で行っています
以下の写真は女川町内





地割れし、地盤沈下の様子

2011年8月23日火曜日

ありがとうございました

みやぎジョネット様

昨日は、大変お忙しい中、石巻、南三陸町をご案内いただきまして誠にありがとうございました。

テレビを通じてその惨状を見てはいたものの、初めて現場に出向き、改めて津波の恐ろしさと地域の人々の苦悩を感じました。
また、ジョネットの皆さんの様に、被災地・被災者に寄り添いながら、様々な物資、心のサポートを行っていらっしゃる方々の疲労は相当のものであると感じました。私はたった1日被災地を見学しただけなのに、かなり体力的にも精神的にも疲労を感じました。ご自分のお宅も被災後のままという状態で、被災地への支援を続けている皆さんの情熱の継続に、本当に頭が下がります。
どうぞくれぐれもご無理のないよう、お体にお気をつけください。

また、宮城でお目にかかれる機会を楽しみにしております。

取り急ぎ、お礼まで                (頂戴したメールより)

女川へ念願のミシン & ふるさとのこと

 819日に女川の仮設住宅を訪問しました。

自分は前日まで、何年ぶりかのふるさと群馬に帰省していました。
心配している両親を安心させたかった、震災と津波でこころが折れそうなときに何人もの同級生から電話やメールや写メをもらい、支えられた、そのお礼を直接言いたかった。
同級生たちは帰省した私の支離滅裂だったであろう話を真剣に聴いてくれました。
家族が被災したこと、自分も仕事ができなくなったこと、支援している私自身が被災地の人と出逢い、逆にいろいろと訓えられ励まされていること、とか。
女川の女性がミシンを必要としている話をした。
同級生たちは私を何とか援助したいと、カラオケで一晩3次会まで相談してくれてたそうな・・(涙)そして翌日、実家までミシンを1台運んできた(感激!!!)。
仙台ではなかなか調達できなかった念願のミシンが11人の同級生に話したら、あっという間に現れた!名前は出さないで、といってミシンを持ってきてくれた男子(今はおやじさん)。海釣りが好きで、あちこちの海に出かけていく。「宮城と新潟は海もいいけど、いいひとばかりなんだなぁ」「女川も行ったよ。きれいだったなあ。 あの浜や町が無くなってしまったなんて、ほんとっ、心が痛むよ」と。
みんな義援金だけではない、何かもっとできることはないのかと考えていることがわかった。
遠くにいても仲間ってありがたいなあ、とつくづく感じました。

久しぶりの帰省で気づいたことがありました。
群馬のひとは声が大きいし、よくしゃべる、我家では、私の声がでかい、と家族から言われる。その理由がわかった気がした。
東北はなだらかな起伏に富んだ地形、関東や西日本とは違う柔らかくてしなやかな樹や草や花がある。繊細な自然が手の届くところにある、葉や風の音、小さな虫たちも気にかけて、ちゃーんと受けとめながら、人と話をする、土の音も聴いている。だから声はちィさい、ちょっとゆっくりかもって思った。
群馬は見渡す限りの関東平野、上州の山からの乾いたからっ風、明るい日差し、夏の雷は地震の地鳴りにも迫るド迫力、その中で思いっきり話す、元気いっぱいの声だ。

役場仮庁舎に女川町復興はがきを求めて行ったら、親切な職員さんが3人いました。見たら群馬県のゼッケンと腕章をしている。行政の支援だそうな。
ここでも群馬とつながりがあったんだぁ。
とてもあったかくて心満たされた女川訪問でした。       tama.o
やっと念願叶い、ミシンの贈呈第一号


手縫いの自作カーテン。
ミシンを手にし、先ずはこのような目隠しカーテンを作りたいのだそうです。
移動販売車



黒煙上げ魚網を焼却処分中

有害な硫化水素やアンモニアが発生している瓦礫にオゾン水をかけていました

赤い北上川

8月19日(金)福島県沖で地震が発生した時、丁度、女川町におりました。
外を歩いていた時でしたが、初めて聞く地鳴りの音に、恐怖が増幅しました。
帰路、石巻市立大川小学校をご案内するため北上川沿いを走り、
赤く染まった川を見ました。
幼少の頃から慣れ親しんだ北上川は、山の木々に映えてゆったりと流れる様が
なんとも言えず風情があり私のお気に入りの景色でしたが、
地震の影響なのか濁って赤い川は恐ろしかったです。          mme.jonet
津波警戒を呼び掛けるテレビ画面
大川小側
大川小より僅か海側にあった観音寺
大川小の瓦礫