説明


2011年3月11日東日本大震災ではあまりに多くの方が数多重被災されました。衷心よりお悔やみとお見舞を申し上げます。

みやぎジョネット(みやぎ女性復興支援ネットワーク)は、東日本大震災を受け、被災地女性と全国支援者の思いを結ぶことを目的に 発足したNPO団体です。各種支援プログラムにより、お一人、お一人の女性が今後の生活を新しくつくっていけますように、ひいては皆の光となることを願い支援してまいります。また、女性のニーズを調査し、政策へ提言いたします。       ―みやぎジョネット会員の多くは被災女性です―

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2011年6月23日木曜日

唐桑 鮪立(しびたち)憩いの家でジョネットサロン

6月22日、私は東京から、初めてジョネットの活動に参加して来ました。

車に6人で乗り合わせ朝の8時に沢山の荷物を積み込みました。
いざ、唐桑の避難所、憩いの家へ。

予定では2時間半程度で到着できる予定でしたが、
本吉地区は道路が壊れ、高台の道を大きく迂回しました。

気仙沼の街の状態は、1ヶ月前の女川とさほど変わらず、
町中がれきだらけ、タンクはひっくりかえり、船は黒こげでした。

道路整備中が多く、道は大渋滞していました。
遅れを覚悟して、みんなで車でおにぎりをかじり、お昼を済ませました。


結果、4時間をかけて憩いの家に到着しました。
半島の海辺はあくまでも美しいサファイヤブルーでした。
遅くなったので、一度は帰ったみなさんが、仮設住宅から再度集まってくれました。
「よく来たね!」・・と口ぐちに歓迎してくれました。
平日なので、お子さんはいませんでした。
30代から70代の女性20人程度。

すぐに全国から届いた銘菓とお抹茶を振る舞わせていただきました。

お代わりしてくださる方もいて、とても嬉しく思いました。
「まさかお抹茶が頂けるなんて!」と喜んでいただけました。

続いては、軍手を使ってのクマさんのお人形作り。
これも、皆さん積極的に参加していただいて、とても個性的なクマさんが沢山誕生しました。

「私は、目がみえないのでね」と言いながら、最後は超個性的作品作りに夢中でした。

作品を並べて記念撮影をしたりしました。とても、喜んでいただけたと思います。
勿論、ジョネットセットをプレゼントさせていただきました。

ハンドマッサージもさせていただきました。「軽くなった」と喜んでいました。

今回は新しくネイルケアをプラスしました。
仮設住宅生活で疲れてしまった爪をキレイにさせていただきました。
「艶が出た」と感想をいただき、嬉しい体験でした。

東京の女性のみなさんが届けてくださった可愛いポーチにも大喜び。
「娘の分、孫の分も、いただいていいですか?」と手にしていました。

男性が被災直後の写真を持参してきて、詳しく話しをしてくれました。
スタッフの2名は熱心に聴き続けておりました。
多くの立派な家と全てが一瞬で消えたのです。10人以上の方が犠牲になられたそうです。

「気をつけて帰ってくださいね」と多くの方が見送りをしてくれました。
「必ずまたきます」と話してきました。

帰りは、ジョネットセットを10組持参し、唐桑地区の災害対策本部を訪ねました。

「被災者支援の皆さまを、支援したいのです」とお渡ししてきました。

”にっこり”でした。被災していない方などいないのです。

帰り道は、やはり工事中に道を惑わされて、ドンドン内陸部に入ってしまい、
なかなか三陸道に入れず、帰り道もまた4時間をかけて戻ってきました。

往復8時間・・・やはり、疲れました。しかし、充実した一日でした。

帰り道に「とても遠いところだったけど、少しでも気持ちよくなって欲しかったの」、
「ちょっとでも励ましたかったのよ、きっとまた訪ねるわ」と
語るスタッフの声がとても印象的でした。

真弓




仮設住宅

鮪立憩いの家避難所でのサロン
皆さんの結束は固く、おしゃべりしながら和気藹々!
サロン終え岐路につく私たちは皆さんに笑顔で送り出され
美味しいお漬物まで頂戴してまいりました

鮪立(しびたち)の皆さんが作られた作品



瓦礫撤去は進んでいませんでした


工事車両の酷い渋滞により
仙台から唐桑まで5時間弱かかってしまいました

2011年6月20日月曜日

月浜ルポ ③

3月11日の東日本大震災から100日が経ちました。

未だに宮城県内の死者9200人、行方不明者が4700人を超えているという現実は

生き残った我々にも おおきな心の痛手のままにあります。

半島で一時は孤島と化した 宮戸月浜民宿「かみの家」小野勝見さんからお手紙をいただきました。
前文をご覧ください。

「かみの家」は長年のお付き合いのあった全国の皆さまから大きな励ましやこれからの期待をたくさんいただいているということでした。

小野氏は ご自分で月浜の将来図を考えて具体的な提案をしていました。
我々も大いに期待したいところです。

宮城ジョネットメンバーは午前中は女川総合体育館の避難所でジョネットサロンを開いたあと、2班に別れ、1班は遠来の方々を石巻や月浜を案内し、現状を見ていただきました。

2班は女川・海泉閣の避難所で午後の部のジョネットサロンを終えて、帰路月浜に立ち寄りました。


電気はつながり、やっと自由にテレビが見られる状態ですが、ひかりネットがまだ繋がらないためにネット通信が未だ不可能なこと、民宿の建物の損傷が激しく水道は玄関前までとのことでした。
修繕するための業者が材料手配ができない、仮設設置が急がれているために仕方ない状況のようです。

いまだに朝、夕飯は弁当の配布、お昼はパンが支給されていました。

仮設住宅が 目の前に建てられていました。

今日は外装部分は完成しエアコンなどの電気製品のセット工事中。
今月中に抽選があってその後もうすぐ入居できそうです。

里浜の避難所の方たち、かみの家の三世帯の方たちもやっと家族毎の暮らしが 近いうちに実現するのですね。

浜には重機が入って 瓦礫が金属部分、木材部分とまずは区別されてその後瓦礫集積所に運ばれる予定のようでした。


これからの 月浜の前進を見守っていきたいと思います。
おかみの先輩



以下5点はいずれも女川総合体育館避難所でのサロン風景










サロンでは軍手人形を作りました

月浜の仮設おふろ

水道本管復旧しましたが、屋内は未だです





2011年6月19日日曜日

みやぎジョネットの皆様

このたびの震災では、何回も支援と励ましの言葉を賜り有難うございました。
お心遣いに深く感謝いたします。
震災から3ヵ月が過ぎましたが、仮設があと10日ぐらいで出来上がる予定です。
6月中に入居できそうです。
現在東松島市では18日の100日に慰霊祭を行い、一つの区切りをつけて、復興に舵を切る予定です。
これまで東松島市の対応は非常に遅く、皆様から見てもそう感じられると思います。
これまで私もただボーっとしていたわけではなく、これから復興に向け月浜地区の復興案を作成していたところです。
ただ現在のところ光回線が利用できなくて、インターネットも不通で情報発信できなく困っていたところです。
このままではどうしようもないので、他の人のインターネットのお力添えをいただきながら色々な取り組みをする準備をしています。

私は、現在「東松島体験ネットワーク」の会長をしており、その活動は HP をご覧ください。
その組織で、その体験観光を提案しております。それは、観光は見る観光と、漁村の生活を体験しながら、地域を活性化する取り組みが必要であり、その双方が必要と考えます。
そのために、この震災から復興を目指す時いろんな人の力をお借りすることも必要と考えました。
その中身は
①奥松島産業復興プロジェクトなるものを立ち上げる。
早急な復興を目指すために、1口オーナー制度なるものを立ち上げ、支援をお願いし復興を早期に進める。
すでに他でも行われており、二番煎じになると思いますが、多くの人より支援したいとの声があり、検討した結果支援を受ける方向で計画したいと思います。
内容は、1口1万円とし、御礼は
1)復興した時漁業の漁獲物(うに、あわび等)を送付する。
2)こちらにお出でいただき、復興した現状を見ていただきながら、漁業体験を楽しんでいただく。
支援していただく地域を考えて、
1)2)のどちらかを選んでいただくようにと考えております。
②将来の復興計画の提案
現在宮戸地区では復興計画案の検討が進められており、東松島市では宮戸地区が一番早くモデル的に復興するかと思われます。
すでに、月浜として私案が月浜地区の案として、提出しております。
その内容は資料をご覧ください。

これらをご覧いただき、御意見がありましたら、仙台に赴いて御意見を拝聴してもよいです。
HPのmail アドレスは、kaminoie@rose.ocn.ne.jp です。
今後ともよろしくお願いします。

かみの家 小野勝見




復興計画map



仮設住宅

第14回全国シェルターシンポジウム 2011 in 仙台 を控え

NPO法人全国女性シェルターネット共同代表
DV被害当事者サポート PMJ 基金理事長
土方さん

特定非営利活動法人全国女性シェルターネット理事
特定非営利活動法人さんかくナビ理事長
貝原さん

特定非営利活動法人フェミニストサポートセンター・東海理事長
隠岐さん

全国シェルターシンポジウムを2011年11月に開催予定です。
打合せ、視察のため来仙され、
早速事務局で、サロンの準備をお手伝いくださいました。

2011年6月16日木曜日

モバイルソーラー寄付

富士電機㈱様、モバイルソーラーを持って仙台到着。
駅に降り立ての写真です。
モバイルソーラーは、週末に唐桑へ運びます。
携帯の使用も制限され、
避難所の方と暫く連絡が取れていない為です。

2011年6月15日水曜日

ユニリーバ様の視察


ユニリーバ最高経営責任者(最高経営者)の配偶者キムさんと

ユニリーバ・ジャパン最高経営責任者(最高経営者)の配偶者シルビアさんが

今後の支援を検討するため、昨日から、被災地の視察に入られました。


ユニリーバ様からは、今回の震災で、大口のご支援を頂いております。

昨日、朝の6時に大量の支援物資が事務局に届けられました。

早速、未だ水の出ていない南三陸町へ向かう車に積み込みました。

その中には、被災地の皆さんを癒してくれるフローラルの香りのボディシャンプーも。

きっと体も心もふんわりふっくらするにちがいありません。
 

通訳の方から熱心に説明を聞かれるキムさんとシルビアさん
後方では、ショベルカーが瓦礫撤去に暇がありません



高さ7メートルの津波で折れた沿岸の松の木


多賀城避難所で開催されたジョネットサロン会場で、
被災者ご本人から直接話を聞くお二人
ひび割れした田の土
遠くに見える松林は津波で刃こぼれ状態になった
ユニリーバ様からの支援物資
香りが持つ癒し力は絶大です
七ヶ浜の見晴台に咲くハマナス



水が引いた跡








2011年6月13日月曜日

ジョネット記事 2紙同日に

みやぎジョネットの活動が新聞二紙で紹介されました!!

週刊「福祉新聞」 6月13日

 




















「河北新報」6月13日
(オンラインでも読めます →こちら

2011年6月12日日曜日

かみの家 ルポ②


かみの家 おかみ律子さんに、初めて連絡が取れたのは震災より一ヶ月過ぎた4月14日のことでした。

当時は、仙台にいる私たちも食料やガソリンの不足、電気・ガス・水道のライフラインの欠如 で大変でした。

沿岸部の大災害の様子が毎日報道され、
次第に友人・知人の安否も入ってくるようになりました。

ガソリンが 、充分に出回り始めたころです。
その頃ようやく彼女からの連絡があったのです。


 4月22日に有志で東松島市宮戸の月浜に支援物資を運ぶことにしました。
 三陸自動車道は自衛隊や他県からの応援の車両がいっぱいです。

三陸道を出てしばらく鳴瀬川の土手を走りました。
土手には津波で運ばれた瓦礫があります。
川に車がありました、家の屋根も流れています

海岸に向かうにつれて瓦礫 の山は、相当の高さになり、
土手で遮られたはずの反対側にまで瓦礫が流れていました。

土手が決壊したわけではなく、野蒜(のびる)海岸からの津波が、
堤防を乗り越え流れたのでした。

河口から右に折れて 野蒜海岸に向かいます。
消防署、レストラン、おしゃれな家の多い 住宅地があるはず、少し行くと「かんぽの宿」が 右に見えるはず。

しかし、絶句!
…道路はやっと通れるほどに臨時に作ったもので、所々にアスファルトが見えるだけ。
以前は海岸線もみえなかった松林は折られ、流されていました。
住宅も土台や柱だけが残っています。
 道路復旧や 安全のためにパトロールの人たちが立っています。

遊覧船の船着場近くの橋が津波と地盤沈下で寸断されていました。
そこにあった電気、水道、電話などのライフラインも断ち切られてしまったのです。
陸続きでありながら 孤島になっていたのです。

あの頃は災害地に行っていいものか、却って邪魔にならないだろうか、 立ち入り制限されているのだろうか 、心配でした。

だけど かみの家 おかみは 「ものは何でもありがたいよ~~、だって何にも残って無いんだもの、これから、皆がここを出て別々に暮らすようになれば、なんだって必要だから、運んでもらうと嬉しい!!」
と安堵する言葉をもらいました。
 支援したい気持ちは迷惑ではなかったのです。

あれから、報道関係の記者、大学関係者、女性支援の方々を何度もご案内しています。

被災地も 、国道沿いや大きな町の復旧は進んでいます
 しかし月浜は未だに電機からの仮の配電です、電話はまだ繋がっていません。

水道は繋がったけれど かみの家(民宿です。自宅は流されたのです)
建物の損傷が激しく、配管の工事をしないと水道は使えないということです。

昨日の電話ではあの目の前の空き地に仮設住宅が建設されているそうです。

「すご~い、速さでできるもんだわ~。見事だよ~」
「お父さんは今鳴子温泉。 私は来週に番が回ってくるので楽しみ。 ありがたいよね」
「自衛隊さんはもういないけど 弁当は毎日いただいているんだよ~」

いつも感謝を口にして、アハハ~~と笑い声を出す おかみの律子さんです。

見守っていくだけですが、現状を皆さまに知っていただくのが大切と思っています。
                               
                               おかみの先輩

2011年6月11日土曜日

寄付してくださった皆様へ



皆さま素早い寄付の送付、ありがとうございました!!

(4月・・みやぎジョネット開始前に、夢中で支援をしていた時、物資を送ってくださった皆様への御礼の手紙の一部です。Y)

それほど大声で呼びかけもしないのに、多くの方から物資いただきびっくりしました。我が家での受けとりにて、小声で呼びかけました。(今は広い倉庫があります)

届くと、ろくに記録もせず、すぐ配る・・の繰り返しの日々でした。

メールで繋がっている方には御礼お伝えいたしましたが、他の方には、御礼遅れて申し訳ありません。
なるべく、お電話差し上げたかったのですが、なかなか繋がらない事が多くこの様に、遅い返事ですみません。メール繋がっていない方には手紙で御礼申し上げます。

九州・石本様 すばやい支援物資ありがとうございました。

東京の横田様の施設からは、すごい量の寄付いただきました。女川町・月浜・石巻市、東松島市に・・すでに全部配りました。ありがとうございました。

せんだい男女共同参画財団の職員の皆さまからも、多様な寄付を、何度もいただきました。ありがとうございます。女川・月浜・石巻に・・すでに全部配りました。
尿漏れ防止の下着。尿パッドは・・他の支援物資(老年期の下着、職員への下着。スキンケア。ヘアケア品、フルーツセット)と共に、石巻の認知症のグループホームに届けました。(看護師の先輩が管理しています)
津波の時は、18名の認知症の老人がテーブルの上にあがって避難したが、足が濡れたそうです。今は、関連の研修所に移動して、床に並んで寝ているそうです。寒さ疲労の為に、直後に2名亡くなったそうです。

ハーティの仲間も沢山の寄付をし、配布に協力してくれました。ありがとう。

チャイルドラインみやぎ・小林様、子ども服。子ども靴。大人服。食糧沢山、お米ありがとうございました。

(他、もっともっとありますが、この他は、支援者のページにお名前を記載させていただきました。それでも、漏れていると思います。どうぞお許しください。)

2011年6月10日金曜日

ジョネットサロンでお会いした方から、お便りが届きました。 

サロンを開催するたび、被災地では、己の非力さと被災の凄さに、胸がつぶれます。
どんな映像より、直に嗅ぐ空気の臭いや歩いた時の土の感触、建物のそこここに引っかかった布切れや細かく裂けたビニルテープのゆらぎに言葉をなくします。
誰かの日常使いの品々がヘドロに埋もれ、「やらせ」みたいにこどもの靴の片っ方や潰れたおもちゃが散乱しています。
これほど惨い光景はありません。





2011年6月8日水曜日

被災地から電話が入った

事務局電話に、見知らぬ携帯の着歴を何件か見つけた。かけてみたが繋がらず、外で受けれるように、先方に私の携帯番号を残した。

掛かって来た。出ると、みやぎジョネットのサロンに参加されたことのある方からだった。
特段緊急の用件ができたわけではない様子だった。

大分長いお喋りになって、彼女は、苦しい胸のうちを明かした。苦しすぎて、眠れない! 何か始めたい、でも、何かがよくわからない。雲の上にいるから、考えられないのだと言った。

みやぎジョネットの勢いに、救ってほしい、聞いてほしいと思って電話した、と言った。

最後に、またかけたい、と言って切った。              by mom.jonet

かみの家ルポ①

奥松島市、宮戸月浜

名勝 松島は有名だけれど「奥松島 嵯峨渓」は遊覧船で外海に出るため、海のみどりは一層濃く、動物たちにたとえられる奇岩や白い砂のマイビーチ、干潮のときはボートならくぐれる岩場があって大海原の豪快さも感じる所です。 

こういうとき ちいさな遊覧船は船長さんのほのぼのとした案内と、手を加えられていない大自然の景観に、うっとり日常を忘れてしまいます。

宮戸島には縄文文化村があり太古からのひとびとの生活の歴史を見ることができて、小高い大高森からの眺望は 仙台港やはるかな太平洋を見渡せます。

里浜、大浜、月浜・・・と浜には民宿が多く、観光で訪れるひとと、釣りの名所として定宿にしている太公望は多いのです。

また温暖な気候で地形は適度なアップダウンがあり、大学や社会人スポーツクラブの合宿にも評判です。月浜には、新鮮な海の幸は漁業と海苔生産と民宿経営での生活があったのです。。

私も 幾度と無く友人たちや家族と訪れていた、素敵な大事なほっこりできる場所でした。

3月11日の大震災で、浜の20数軒あった民宿や、海苔生産、漁業、家庭生活が見る影も無く破壊されました。

海岸線の真っ直ぐなところの被災地は、ほとんどの瓦礫が移動しています。
しかしこの浜は 洗濯脱水機でガラガラ掻き回されたように、ここにあった生活のすべてが破壊され、まだその場にあります。

地震・津波以来 何度も 後輩律ちゃん(かみの家おかみ)に連絡をしたのですが、4月14日にいきなり「アハハ~~!」と電話があったのでした。「わたしとこ、死んだと思ってたでしょ~~♪」

「海岸ふちの民家、民宿は全部ダメ。 自宅の庭先に船が居るんだよ。うちの民宿部分は少し高いとこだったから助かったけど、避難場所になってずっと30人くらいはいたんだよ」 

「まだ電気来ないんだってば。水も自衛隊の水。今は近くにテント張って、そこで順繰り当番でみんなの食事作っている」「みんなしてバカなはなしばっか言って笑っているよ。犠牲者は無し。すごいでしょ。」
「みんな津波が来たら小学校に逃げる、というの知っていたし、隣の浜の人たちも、ギリギリで間に合って我が家に入ったの」

え?この携帯はどうやって? 
「アハハ、うちさ、発電機持ってるから繋がったのよ。でももったいないからほとんど切っててさ」

もう・・このあっけらかんさ!に、救われました。


 大地震・津波被害の現実を知って欲しい。

なんとか浜の人たちにも、律ちゃんにも本当の元気を取り戻してほしいと思います。

随時 「月浜 かみの家」のルポを載せようと思います。

6月8日記   おかみの先輩 

ハンドマッサージ

ハンドマッサージを行っているところです。実はこの時、多くのお話をしてくださいます。それをひたすら聞く事も大事な事かと思います。うけた方は体があたたかく軽くなったと言ってました。







実は、ジョネットのスタッフには、津波被害で両親を亡くし、ようやく仮設住宅に入れた当事者女性(40代)もいます。ハンドマッサージでは偶然・・雄勝の同じ状況の女性と巡りあったそうです。       お互いに一番欲しいものは「仕事!」だったそうです。
「孫社長さん、ソフトバンクのコールセンターを石巻に作ってください!一生懸命働きます!」
が彼女達の希望です。

ジョネットセット

ジョネットセット 
これは企業・個人の方から寄付いた物を袋に詰め合わせています。
バスタオル、メイク用品・スキンケア製品・靴下・等々・・組み合わせは様々になります。

袋はランドリィ―バックに使えます。

ジョネットサロンの作品

飯野川のジョネットサロンの作品です。大人も子どもも、生き生きして作成していました。
特に、韓国から嫁いで2人のママになった方の作品、小学生 の女の子達の作品は個性的でした。この・・くまちゃん、実は・・指を足にいれて・・歩かせる事ができるんです。


2011年6月7日火曜日

ポール ヒマラヤンムスク

あっという間に、花をたくさん咲かせ始めました。でもジョネット業務で忙しく、水も切れ加減。
かわいそうな思いをさせています。

6月5日(日)、飯野川に行きました

みやぎジョネット、6月5日は
石巻市旧河北町飯野川に行かせていただきました。
日曜朝8時に仙台各地で集合し、3台の車に分乗して総勢14人、
今回は若手女性弁護士2人も参加です。

9時半前後に飯野川中学校に到着。中学校の体育館が避難所になっていました。
ここには河北町、雄勝町などの方々が避難されておられます。
津波で家を失った方がたいへん多いことが、後でお話をうかがってわかりました。

晴天の日曜日、出かけている方も多く、静かでおだやかに時間が流れていました。

今回のジョネットは
「軍手で作る歩くくまちゃん人形づくり」と、
やさしい「ハンドマッサージケア」、
それからおいしいお菓子でお茶会をしましょう、
必要がある方は弁護士相談もできます、
というメニューです。
お茶会は残念ながらスペースと時間の問題で、今回はちょっとできませんでした。
場所によってさまざまな制約があるので、どうしても予定通りにはいかないこともあります。

参加してくださった方には用意してきたジョネットセットを差し上げました。
ジョネットセットは、全国のみなさまから送っていただいた支援物資を10種類くらいずつ、
大きめのバッグに詰め合わせたものです。今回は50セット用意していきました。

特に女性の方に届けたいので、ジョネットサロンは手工芸やハンドマッサージ、
お茶会などのメニューにしています。

弁護士相談も別コーナーを作らないで、必要がある方にはどこか空いている目立たないスペースで
お話を聞きましょう、という設定にあえてしました。
地方では、女性が弁護士相談を人前でするのは、すごく勇気がいることなのです。

そういうわけで、弁護士のお二人にもハンドマッサージの練習をしていただき即席マッサージ師になっていただきました。
また手工芸家の助手を務めていただきました。

避難所のみなさんに声をかけながらジョネットのリーフレットを手渡しし、
仙台で女性支援の活動をしてきたグループであること、
なにか心配なことがあったときはお電話ください、とお伝えし、今日のサロンにお誘いしました。

最初はとまどっておられたようでしたが、徐々に参加者が増えていきました。
手芸コーナーではかわいい個性的なくまちゃん人形が楽しい笑い声の中でできていきました。

ハンドマッサージコーナーでは、女性同志で、たくさんのお話を聴かせていただくことができました。
津波ですべてを失ってしまったこと、これからの仮設住宅への不安、遠く離れた娘や息子や孫のこと、
大事な家族や友人、親戚を亡くしてしまった悔しさ、つらさを・・・涙を流しながら話されました。
そしてみなさんが一様に繰り返されたのは全国から来てくださる数々のボランティアへの感謝のことばでした。

避難所で凛とした声でお知らせアナウンスをされている方は、若い女性でした。
頼もしい雰囲気の方で、子どもたちにも慕われているようすでした。
県や市、学校の方、保育士、保健師の方もおいでになり、みなさんに協力していただきました。

午後は飯野川第一小学校におじゃまさせていただきました。
こちらは仮設住宅に当たった方がお引っ越しされるという時期でもありました。
だんだん統廃合されていくかもしれないという少し寂しい雰囲気も感じました。

70代の方が、メッセージカードに「仮設住宅に入りたい」と一言書きました。
しかし、仮設に入ると今度は物資の支援がないし、
食費も水道光熱費もすべて自己負担になる
というので、みなさん、不安も感じておられるようでした。

こちらではクマちゃん人形作りに子どもたちがたくさん参加してくれました。
ハンドマッサージも多数の方々に喜んでいただくことができました。
にわかマッサージ師たちの中には、翌日身体中が痛くなり、自分が本職マッサージに通院した人もいます。
気持ちが入って、思わず自分の身体を省みなかったものと思われます。

法律相談は件数は少なかったのですが、じっくりと十分にお話を聞いてもらうことができたようでした。先生方、ありがとうございました。


帰り道には石巻市の門脇小学校付近に寄ってきました。
ここはまだ一面の焼け野原のような状態です。
大きな瓦礫はだいぶ撤去されましたが、ひしゃげたまま残った建物や、焼けこげた車の残骸がおびただしく残っていました。まだまだ何も終わっていないのです。

実はここで両親を失い、自分も奇跡的に助かったYさんも、本日のジョネット隊に参加していたのです。
石巻の地でお父様を亡くされた仙台のTさんも参加していました。
一緒に黙って見つめてきました。

この地域、行方不明の方の正確な人数の把握もまだできていないと聞いていました。
道路の両脇が冠水していて、一方通行になっているところもありました。
信号がついてないところもたくさんありました。

震災からの復興はまだその端緒に付いたばかりです。

その後、Yさんが2ヶ月過ごした石巻高校の避難所に回りました。
励まし合って暮らした女性の方々に会い、ジョネットセットをお渡ししてきました。

2011年6月6日月曜日

IT教室からお試し送信

みんなわいわいやっています。これで、もっとたくさんのご報告を、ご支援くださる皆様にお伝えできると思います。
BlackBerry from DOCOMO

みなさんアドレス登録だけで四苦八苦中

ただいま
ジョネットブログ投稿のための
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ジョネットIT

ジョネットメンバーでIT受講中。
窪くんが、お腹ペコペコにして、教えてくださっています。
BlackBerry from DOCOMO

ブログの講習会をしました

今日はブログの書き方の講習会をしています。

石巻市飯野川第一小学校体育館

タンザニアのティンガディンガアーティスト
ユスフ・マイケル・レヘムさんの作品が
体育館の壇上に作られていました。


2011年6月4日土曜日

大規模災害における女性支援

「第14回全国シェルターシンポジウム2011 in 仙台」
の分科会に発言者として参加が決定しました。


会 期 : 2011年11月19日(土)
テーマ : 大規模災害における女性支援

*詳細は、随時お知らせしてまいります。
  多くの皆様のご参加をお待ちいたします。

宮城高等歯科衛生士学院の皆さん

6月1日(水)朝、歯科衛生士学院の皆さんが
支援バスに乗り込むところに出会いました。
皆さんが担う専門性がみやぎジョネットメンバーの
それと繋がり思わずエールを送って、写真をぱちり   
                                                   by mom.jonet