説明


2011年3月11日東日本大震災ではあまりに多くの方が数多重被災されました。衷心よりお悔やみとお見舞を申し上げます。

みやぎジョネット(みやぎ女性復興支援ネットワーク)は、東日本大震災を受け、被災地女性と全国支援者の思いを結ぶことを目的に 発足したNPO団体です。各種支援プログラムにより、お一人、お一人の女性が今後の生活を新しくつくっていけますように、ひいては皆の光となることを願い支援してまいります。また、女性のニーズを調査し、政策へ提言いたします。       ―みやぎジョネット会員の多くは被災女性です―

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2011年9月19日月曜日

  「かみの家 ルポ⑦」 近況報告と 「観光再生プロジェクト」について

東松島市 月浜の「かみの家」おかみ律子さんから現状報告がありました。
瓦礫はだいぶ片付けられました。
仮設入居も一ヶ月半となって 明るい声も響くようになりました。
昨日は 帝京大学の学生が40人ボランティアに来ました。 県内に200人くらいの団体で来て 数箇所の津波被災地に分かれたようです。
ここ月浜には 国の重要文化財指定の “えんずのわり”行事があり、岩屋と神様が祀られている神社があります。
今度の津波では行事を行う岩屋は床上浸水と、神社は浸水は免れたものの地震で少し壊れていました。
学生さんたちは その周辺の草取りを丹念にしてくださいました。
「我が家で集められるだけの草取りカマを渡したのだけど、今の若い人たちは カマは使ったことないのよねえ、ほほえましく有り難く見てたよ~。 おかげさまで神社周辺がすっきりきれいになったの。明日はね、どこからか30人の団体さんが来るんですって。 こちらでカレーライスを作って待ってるの。 うちには大きなご飯釜があるので 明日は頑張ってボランティアさんを迎えなくちゃ。 
長い間ご飯を作ってもらう立場から反対に歓迎のご飯炊きをする。 これもいいよね~~。 ほんとに津波や地震の被害は思いもよらない大災害だけど、どこのだれかわからない人たちが、私たちのために一生懸命通ってきてくれる。 有り難くて、元気にしてないと、って思うよ~。」 相変わらずゆったり、ほっこりの律子さんです。

月浜の復興図を「かみの家」ご主人が原案を作っていましたが、メディア研究のS氏・K氏の協力でイラスト入りの復興図ができつつあります。 

月浜「かみの家」の復興ファンドが立ち上がっています。「観光再生プロジェクト」といいます。 一口 1万円で出資者を募っています。
協力者に還元として ①焼き海苔100枚 ②漁業体験参加 の2種類がありどちらかを選びます。 これから2年後というお約束です。
皆さまのご協力をぜひぜひお願いいたします。 応援いたしましょう!
詳しくは 「体験民宿 かみの家」のホームページから
「観光再生プロジェクト」をご覧ください。
http://www2.ocn.ne.jp/~kaminoie/mousikomi.html

あの澄んだ海が戻っています。 
月浜では来年の収穫に向けた海苔の植え付け作業が行われているそうです。                     おかみの先輩

2011年8月16日火曜日

月浜 かみの家ルポ ⑥






メディ研のS氏とともに月浜・かみの家に行ってきました。

三陸道路は帰省と被災地訪問、罹災無料車両などで渋滞。
ほぼ並行する利府街道を久しぶりに通りました。
スイスイ走行でヤッタネ!

太平洋側からの吉田川、鳴瀬川はきれいに清掃され,野蒜に向かう田んぼの瓦礫や車両も撤去されていて、震災・津波から5ヶ月経ったという実感がありました。

野蒜海岸には決壊した防波堤の臨時工事がされていて、海岸側も通れるようになっています。地盤沈下でできた大きな澱み、野外活動センターの広大な敷地が瓦礫集積所になっていてますます巨大になっていました。
あの美しかった松林は本当にまばらになり、倒木はますます枯れ果てています。

7月末に「かみの家」の近くに仮設が完成して約30戸は満室になりました。
新しい生活が始まっていました。

ジョネットサロンを行った里浜の漁業組合避難所は7月末に全員移動して、数日後に戻り、皆さんで感謝の徹底お掃除をしたそうです。

おかみ律子さんの話によると、
「震災直後は宮戸小学校、それから里浜、そしてこの仮設へとこの5ヶ月間に何度も移動してね、ここは車がないと何にも動きが取れないから、一つ一つの引越しがほんとに大変だったのよ~」

自衛隊も撤収して、その後の役所からの弁当支給もなくなって、いま仮設生活が始まったけれど、困っているのは買い物。

週に何回か 移動販売がやってくるそうですが、ほしいものひとつも 矢本か松島に行かないと買えない。「生協の個別配達が来ればいいかもね~、以前は来ていたのだけど」

空からの宮戸半島の写真を見せていただきました。 
浜と山もありますが、田んぼが20町歩もあったのです。

「かみの家」では自家産のお米と近年は減反部分に大豆を育てて味噌も作っていました。

目の前の海の幸、自家産のお米、味噌、野菜で民宿が成り立っていたのです。
田園はこのたびの津波で堤防が決壊し、海水が入り耕作できない。

かみの家は 民宿部分には家族としての持ち物は置いていなくて、自宅は全壊しました。 
仮設での暮らしは「まだまだ慣れないけれど、ありがたいよね~~」

ご主人とおかみのこれからの構想をお聞きしました。
月浜の青写真です。
 
津波で全壊の浜は公園化して幼稚園や小学生の遠足でこられるところにしたい。
海の幸いっぱいの家族的な民宿に泊まってもらって、ゆっくりできる滞在型の奥松島・月浜にしたい。

海岸で遊び、釣りや漁業体験、シーカヤック、文化財もあり、海の産物の販売もして、いっぱいの人たちに来てほしい。

宮戸を知ろう、という学者や行政の方との集会も今まで行ってきました。
後ろを見るより、前を見たい。
復興についての文化庁から予算が付いた構想募集にも応募する。積極的です。

「月浜かみの家」は 浄化槽が瓦礫の下敷きになりすっかり壊れてしまい、その工事が9月になるそうです。外壁、配水管などの工事もありますが、少しずつ少しずつ前に進んでいますね。

今回の支援物資はシーツと宿泊客用の浴衣。奄美大島の方からの支援物資でした。
「助かるわ~~♪ ありがとうございます!」おかみの明るい声でした。

それにしても 奥松島の深い青の海。
何も変わらぬ潮騒は いっときの現実を忘れさせてくれました。       おかみの先輩

2011年7月23日土曜日

かみの家  ルポ ⑤

かみの家おかみから聞きました。
彼女の置かれた現状が まさに今の津波被害地の現実だと思います。

23日の民宿再開に向けて がんばってきた。
水道は玄関までとっくに来ているのに 建物には来ていない
月浜は小さな浜の中に20数軒の民宿があったのですが、かみの家ともう一軒の民宿だけが少し高台にあったために建物は助かりました。
しかし、地盤沈下と地震の爪あとはかなりのもので 建物裏に回ると壁が傷んでいて、特に風呂やトイレなどの損傷が酷かったのです。

以前からの水道工事さんが来て見ていき、「あとでくるから、」と言ったきり来てくれない。
再三 電話をしてみたが 「人の手配がつかない」という。(以前は材料が入らない、だった)
その業者のことはあきらめて、 民宿を建てた大工さんに頼んだ。
彼から別の水道工事屋さんを手配してもらった。 しかし、そちらは自分が請け負った建物ではないので、折角大工さんが修繕したところを壊しながら、配管をチェックしなければならなかった。 その作業がとっても大変で今も続いている。

もうひとつ問題があった。 浄化槽が建物の直下に埋め込んであった。
そこは津波の瓦礫が留まったところだった。 瓦礫撤去のクレーン車が入った。すでに浄化槽のふたもなく、このままでは使えないことがわかった。
浄化槽を新たに考えなければならない。場所をどこにするか、設置していいかどうかも。
仮設トイレしか使えない、ということも民宿再開に問題。

この地区の再開発について 行政や大学教授、建築関係の方たちが来てくれて 4回も会議がもたれた。 
夫もこの月浜の開発地図を提示している。
危険な海岸は公園化して住民が高台に住むような案を示した。
漁業とともに、奥松島の景観を生かして、漁業体験や海で遊ぶ体験ツアー。

そこに一部の住民から強力な反対の声がある。 
反対派は「なにも観光化しなくてもいい。 自分たちは魚を獲って、海のそばに家を建てて暮らしたいだけだ。」

夫は、「このまま行政の話も聞かずに 近くに住んで漁業をやっても、国や行政から援助はない。 将来を見据えた計画を立てなくてはならない」と力説するが、会議にも住民たちは一人欠け、二人欠けと会議として成り立たなくなってきた。

仮設住居はできたけれど、いまだに入れない。
電気製品が手配できていないから、だそうだ。 当初は7月中に入居できるという話だったが、いまだに説明会も行われていないとか。
いまだに 避難所暮らしが続いている住民のみなさんの焦り。 
これからのことを考えよう、次世代を津波被害から守ろうという思いと、目の前にある海と今までどおりの生活でいい、という人たちの思いが交錯している。

24日の 「女たちの語り場」にはそのような現実をおかみに語ってほしいし、ほかのところの現状を聞くだけでも、共感や今後への何かのヒントがあるかも知れない。
昨夜もう一回、と思っておかみに電話をしてみた。
ここの住民だったとても恩のある方が昨日亡くなって、地区の人たちと一緒に お葬式に向かわねば、とのこと。  残念!

3月11日の 大地震と大津波。 あれから4ヶ月以上も経った。
月浜の現実と同じことが この長大な津波被害地ではたくさんおきていると思う。
視点を目の前に下ろすか、少し先に向けるか。

何世代も仲良く培ってきた浜の皆さんの心が 活気を取り戻すようにするには具体的にどうすればいいのか。
せっかく ひとりも犠牲者を出さずに津波から逃れた命ですものね。
                                


                                  おかみの先輩

2011年7月7日木曜日

かみの家 ルポ④・・・

月浜のかみの家は23日に 民宿を再開!!
・・・・・・と嬉しいうわさが流れました。
 おかみが言うには、「水道も民宿の建物に入っていないし、お風呂も直っていないからね~~」との事。
浜の近海調査も未だにすすまないし、漁をするにも船がない。
しかも修繕業者がなかなか来ず(資材の手配が付かないらしい)今月中のスタートは難しいようです。
仮設はできているが、内部の配管部分ができていないらしくて、入居のめどは立たない現状との事。
宮戸小学校の全校生徒は39人。 転校していった子どももいるそうです。
民宿も自宅も流されて、船もない状況は変わらず、しかし、前を向くしかない気持ちはわかるような気がします。
今は買い物に一番困っているそうです。
日常の買い物ができた野蒜の町が消えてしまった。
矢本町まで行かないとちょっとしたものも買えない。
「コンビニが一軒あればいいのにね」と私が言ったら、「あういうのは人口が少ないと作らないようだよ。」
「そうだ! 移動販売がいいんでは?」 と私。
「あはは、先輩やれば? 実際ね~この近くの人は 屋台ラーメン始める!ってやりだしたよ♪」・・・ 本当に生きていくためには何かをせねばなるまい。
私は、「ジョネットの皆さんは 民宿が復活再開したら、行ってみたい!と言っているからね!」 と伝えました。
おかみの先輩

2011年6月20日月曜日

月浜ルポ ③

3月11日の東日本大震災から100日が経ちました。

未だに宮城県内の死者9200人、行方不明者が4700人を超えているという現実は

生き残った我々にも おおきな心の痛手のままにあります。

半島で一時は孤島と化した 宮戸月浜民宿「かみの家」小野勝見さんからお手紙をいただきました。
前文をご覧ください。

「かみの家」は長年のお付き合いのあった全国の皆さまから大きな励ましやこれからの期待をたくさんいただいているということでした。

小野氏は ご自分で月浜の将来図を考えて具体的な提案をしていました。
我々も大いに期待したいところです。

宮城ジョネットメンバーは午前中は女川総合体育館の避難所でジョネットサロンを開いたあと、2班に別れ、1班は遠来の方々を石巻や月浜を案内し、現状を見ていただきました。

2班は女川・海泉閣の避難所で午後の部のジョネットサロンを終えて、帰路月浜に立ち寄りました。


電気はつながり、やっと自由にテレビが見られる状態ですが、ひかりネットがまだ繋がらないためにネット通信が未だ不可能なこと、民宿の建物の損傷が激しく水道は玄関前までとのことでした。
修繕するための業者が材料手配ができない、仮設設置が急がれているために仕方ない状況のようです。

いまだに朝、夕飯は弁当の配布、お昼はパンが支給されていました。

仮設住宅が 目の前に建てられていました。

今日は外装部分は完成しエアコンなどの電気製品のセット工事中。
今月中に抽選があってその後もうすぐ入居できそうです。

里浜の避難所の方たち、かみの家の三世帯の方たちもやっと家族毎の暮らしが 近いうちに実現するのですね。

浜には重機が入って 瓦礫が金属部分、木材部分とまずは区別されてその後瓦礫集積所に運ばれる予定のようでした。


これからの 月浜の前進を見守っていきたいと思います。
おかみの先輩



以下5点はいずれも女川総合体育館避難所でのサロン風景










サロンでは軍手人形を作りました

月浜の仮設おふろ

水道本管復旧しましたが、屋内は未だです





2011年6月19日日曜日

みやぎジョネットの皆様

このたびの震災では、何回も支援と励ましの言葉を賜り有難うございました。
お心遣いに深く感謝いたします。
震災から3ヵ月が過ぎましたが、仮設があと10日ぐらいで出来上がる予定です。
6月中に入居できそうです。
現在東松島市では18日の100日に慰霊祭を行い、一つの区切りをつけて、復興に舵を切る予定です。
これまで東松島市の対応は非常に遅く、皆様から見てもそう感じられると思います。
これまで私もただボーっとしていたわけではなく、これから復興に向け月浜地区の復興案を作成していたところです。
ただ現在のところ光回線が利用できなくて、インターネットも不通で情報発信できなく困っていたところです。
このままではどうしようもないので、他の人のインターネットのお力添えをいただきながら色々な取り組みをする準備をしています。

私は、現在「東松島体験ネットワーク」の会長をしており、その活動は HP をご覧ください。
その組織で、その体験観光を提案しております。それは、観光は見る観光と、漁村の生活を体験しながら、地域を活性化する取り組みが必要であり、その双方が必要と考えます。
そのために、この震災から復興を目指す時いろんな人の力をお借りすることも必要と考えました。
その中身は
①奥松島産業復興プロジェクトなるものを立ち上げる。
早急な復興を目指すために、1口オーナー制度なるものを立ち上げ、支援をお願いし復興を早期に進める。
すでに他でも行われており、二番煎じになると思いますが、多くの人より支援したいとの声があり、検討した結果支援を受ける方向で計画したいと思います。
内容は、1口1万円とし、御礼は
1)復興した時漁業の漁獲物(うに、あわび等)を送付する。
2)こちらにお出でいただき、復興した現状を見ていただきながら、漁業体験を楽しんでいただく。
支援していただく地域を考えて、
1)2)のどちらかを選んでいただくようにと考えております。
②将来の復興計画の提案
現在宮戸地区では復興計画案の検討が進められており、東松島市では宮戸地区が一番早くモデル的に復興するかと思われます。
すでに、月浜として私案が月浜地区の案として、提出しております。
その内容は資料をご覧ください。

これらをご覧いただき、御意見がありましたら、仙台に赴いて御意見を拝聴してもよいです。
HPのmail アドレスは、kaminoie@rose.ocn.ne.jp です。
今後ともよろしくお願いします。

かみの家 小野勝見




復興計画map



仮設住宅

2011年6月12日日曜日

かみの家 ルポ②


かみの家 おかみ律子さんに、初めて連絡が取れたのは震災より一ヶ月過ぎた4月14日のことでした。

当時は、仙台にいる私たちも食料やガソリンの不足、電気・ガス・水道のライフラインの欠如 で大変でした。

沿岸部の大災害の様子が毎日報道され、
次第に友人・知人の安否も入ってくるようになりました。

ガソリンが 、充分に出回り始めたころです。
その頃ようやく彼女からの連絡があったのです。


 4月22日に有志で東松島市宮戸の月浜に支援物資を運ぶことにしました。
 三陸自動車道は自衛隊や他県からの応援の車両がいっぱいです。

三陸道を出てしばらく鳴瀬川の土手を走りました。
土手には津波で運ばれた瓦礫があります。
川に車がありました、家の屋根も流れています

海岸に向かうにつれて瓦礫 の山は、相当の高さになり、
土手で遮られたはずの反対側にまで瓦礫が流れていました。

土手が決壊したわけではなく、野蒜(のびる)海岸からの津波が、
堤防を乗り越え流れたのでした。

河口から右に折れて 野蒜海岸に向かいます。
消防署、レストラン、おしゃれな家の多い 住宅地があるはず、少し行くと「かんぽの宿」が 右に見えるはず。

しかし、絶句!
…道路はやっと通れるほどに臨時に作ったもので、所々にアスファルトが見えるだけ。
以前は海岸線もみえなかった松林は折られ、流されていました。
住宅も土台や柱だけが残っています。
 道路復旧や 安全のためにパトロールの人たちが立っています。

遊覧船の船着場近くの橋が津波と地盤沈下で寸断されていました。
そこにあった電気、水道、電話などのライフラインも断ち切られてしまったのです。
陸続きでありながら 孤島になっていたのです。

あの頃は災害地に行っていいものか、却って邪魔にならないだろうか、 立ち入り制限されているのだろうか 、心配でした。

だけど かみの家 おかみは 「ものは何でもありがたいよ~~、だって何にも残って無いんだもの、これから、皆がここを出て別々に暮らすようになれば、なんだって必要だから、運んでもらうと嬉しい!!」
と安堵する言葉をもらいました。
 支援したい気持ちは迷惑ではなかったのです。

あれから、報道関係の記者、大学関係者、女性支援の方々を何度もご案内しています。

被災地も 、国道沿いや大きな町の復旧は進んでいます
 しかし月浜は未だに電機からの仮の配電です、電話はまだ繋がっていません。

水道は繋がったけれど かみの家(民宿です。自宅は流されたのです)
建物の損傷が激しく、配管の工事をしないと水道は使えないということです。

昨日の電話ではあの目の前の空き地に仮設住宅が建設されているそうです。

「すご~い、速さでできるもんだわ~。見事だよ~」
「お父さんは今鳴子温泉。 私は来週に番が回ってくるので楽しみ。 ありがたいよね」
「自衛隊さんはもういないけど 弁当は毎日いただいているんだよ~」

いつも感謝を口にして、アハハ~~と笑い声を出す おかみの律子さんです。

見守っていくだけですが、現状を皆さまに知っていただくのが大切と思っています。
                               
                               おかみの先輩

2011年6月8日水曜日

かみの家ルポ①

奥松島市、宮戸月浜

名勝 松島は有名だけれど「奥松島 嵯峨渓」は遊覧船で外海に出るため、海のみどりは一層濃く、動物たちにたとえられる奇岩や白い砂のマイビーチ、干潮のときはボートならくぐれる岩場があって大海原の豪快さも感じる所です。 

こういうとき ちいさな遊覧船は船長さんのほのぼのとした案内と、手を加えられていない大自然の景観に、うっとり日常を忘れてしまいます。

宮戸島には縄文文化村があり太古からのひとびとの生活の歴史を見ることができて、小高い大高森からの眺望は 仙台港やはるかな太平洋を見渡せます。

里浜、大浜、月浜・・・と浜には民宿が多く、観光で訪れるひとと、釣りの名所として定宿にしている太公望は多いのです。

また温暖な気候で地形は適度なアップダウンがあり、大学や社会人スポーツクラブの合宿にも評判です。月浜には、新鮮な海の幸は漁業と海苔生産と民宿経営での生活があったのです。。

私も 幾度と無く友人たちや家族と訪れていた、素敵な大事なほっこりできる場所でした。

3月11日の大震災で、浜の20数軒あった民宿や、海苔生産、漁業、家庭生活が見る影も無く破壊されました。

海岸線の真っ直ぐなところの被災地は、ほとんどの瓦礫が移動しています。
しかしこの浜は 洗濯脱水機でガラガラ掻き回されたように、ここにあった生活のすべてが破壊され、まだその場にあります。

地震・津波以来 何度も 後輩律ちゃん(かみの家おかみ)に連絡をしたのですが、4月14日にいきなり「アハハ~~!」と電話があったのでした。「わたしとこ、死んだと思ってたでしょ~~♪」

「海岸ふちの民家、民宿は全部ダメ。 自宅の庭先に船が居るんだよ。うちの民宿部分は少し高いとこだったから助かったけど、避難場所になってずっと30人くらいはいたんだよ」 

「まだ電気来ないんだってば。水も自衛隊の水。今は近くにテント張って、そこで順繰り当番でみんなの食事作っている」「みんなしてバカなはなしばっか言って笑っているよ。犠牲者は無し。すごいでしょ。」
「みんな津波が来たら小学校に逃げる、というの知っていたし、隣の浜の人たちも、ギリギリで間に合って我が家に入ったの」

え?この携帯はどうやって? 
「アハハ、うちさ、発電機持ってるから繋がったのよ。でももったいないからほとんど切っててさ」

もう・・このあっけらかんさ!に、救われました。


 大地震・津波被害の現実を知って欲しい。

なんとか浜の人たちにも、律ちゃんにも本当の元気を取り戻してほしいと思います。

随時 「月浜 かみの家」のルポを載せようと思います。

6月8日記   おかみの先輩