説明


2011年3月11日東日本大震災ではあまりに多くの方が数多重被災されました。衷心よりお悔やみとお見舞を申し上げます。

みやぎジョネット(みやぎ女性復興支援ネットワーク)は、東日本大震災を受け、被災地女性と全国支援者の思いを結ぶことを目的に 発足したNPO団体です。各種支援プログラムにより、お一人、お一人の女性が今後の生活を新しくつくっていけますように、ひいては皆の光となることを願い支援してまいります。また、女性のニーズを調査し、政策へ提言いたします。       ―みやぎジョネット会員の多くは被災女性です―

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2013年10月30日水曜日

カテドラル

白いカテドラルの中で ついに処理場の解体が始まりました 進行中

2013年10月29日火曜日

手術台に上がった防災庁舎

                       

周囲の草刈りをジョネットのスタッフがしておりましたら
今日は役場の方で草刈りにみえました
軽トラ何台分もの草が運ばれていきました

夜 ジョネットハウスに
この町で殉職された方のご遺族が尋ねてみえました
「ここから流されていったのか」と思うとあの日家族がいた建物は見たくもなかったし
そばを通らないように避けていた
少し気持ちが落ち着いてきた今は 家族が亡くなった建物とは違うが
防災庁舎を遺して欲しいと思っている
(月命日にお花をあげに来られているそうですが)
遺構が無くなったらどこにお花をあげたらいいのか
みんなの記憶も薄れていく
2013年11月2日(土)慰霊祭開催予定

柿の実

健康のため外に出て欲しい
周囲の願いが実を結びました
散歩途中みつけた柿 たわわに実って

2013年10月27日日曜日

被災地に掲げたいことば

1 month
1 year
5 years
10 years
20 years
…87 years

何年たっても
そのは痛む

We cry
We hurt
We struggle
We feel sad
We feel lost
We feel angry

もう生きているのが辛いって思う
でも、毎日必死に生きている

Give us time to heal,
to piece ourselves together again
We may fall,
but we will get up again
We may lose hope,
but we will find it again

どんなにれてしまっていても
這い上がる強さを私たちは持っている

男性トイレで感激

人工肛門・人工膀胱温水洗浄システム

燃料棒を身体に埋め込まれた

誰が水を注ぎ続けるのか…
トラウマの記憶は頭ではなく身体に埋め込まれる
全国シェルターシンポジウム2013inもりおか分科会にて

盛岡市内の鮭遡上

ダム放流の影響で増水し濁った中津川

欄干からやっと見つけた鮭2匹
城址公園

2013年10月26日土曜日

復興とは日常を取り戻すこと

 第16回全国シェルターシンポジウム2013 in もりおか・岩手 開催
全国の女たちが心寄せ合って被災地の女性たちを支え続けていきたい・・戒能民江さん
津波で亡くなられたご遺体は
地上に出ている指先の一関節とかほんの少し出ているお尻などを頼りに収容します
不思議とご家族をなくされた方が次々発見していたと聞いています
見つけたい一心が引き寄せる術なのでしょう
困っている方をさがすことでも同様です
心がそばに寄っていないと そうした方々は見つけにくいものです

2013年10月24日木曜日

ベルリンからお客様

お客様をお迎えしました
話題は 原発 沿岸部の皆さんの現状 選挙運動のスタイルなど
被災地の一番の問題は女性の自立 
ドイツは戦争で負けたあと 裕福な家の女性でもそうでない女性でも自分で食べていくことができるようになる教育になったそうです 

2013年10月23日水曜日

被災田んぼ

                            
気仙沼・南三陸
津波のあがった田の復興は 半分以下です
見かける田んぼの殆どがそのままになっています

2013年10月22日火曜日

変わったスタッフ

ジョネットに来て変わった スタッフがそう言いました
自分の意見が持てるようになった
そしてどこでどう言うか考えるようになったと思う

確かに この女性はよく私に尋ねるようになりました
自分の考えを話します 理由もきちんとしています
その上で私に意見を求めてきます

サロン参加者に待たれている方です

ここのトイレ

少し歩くとコンビニがあり商店があり
トイレをお借りすることができる わけがありません
街ごと津波に持って行かれたここでは

おトイレを使っていただいて構いませんが
考えようのない汚れ方を見るのは 不愉快

ドアや壁面に使用禁止の張り紙をしても効果無し
ついにスタッフは地面に踏み絵の張り紙をしました

サーファー

手つかずの瓦礫残る海辺で サーフィン

2013年10月21日月曜日

あぁ あの時!!

タクシーを降りようとして運転手さんが急に大きい声を上げました
「あぁあの時 水を分けてたひとですね 思い出しました」
震災から2年7ヵ月というのに

高齢者の多い地域ですので 震災翌日より自宅の受水槽を開放したのです
思い出して頂けてねぎらいになりました

選挙戦

大分前から支持する町長選候補者のポスターが集会所に貼ってありました
本日 町議選に使う街宣車が各事務所に運び込まれました
県知事選候補の街宣車が通り過ぎて行きました
松坂牛が差し入れられ ジョネットハウスで「稲刈りカップ」慰労会開催
筋肉痛になりながらも
「仕事の楽しさを知った」とスタッフのコメント

町に灯るあかり

東日本大震災の被災地に真っ先に欲しいものは 灯り
感動の灯り ここは造船所

被災建物の取り壊し

ベニヤ板が張られてから暫くになりますが
竜を思わせるショベルカーが入り 取り壊し作業がはじまりました
内部を見せた建物は 無言の存在感を感じさせます

2013年10月20日日曜日

火の山が来る!

頑張れ 気仙沼・南三陸 稲刈りチャレンジ杯2013 視察

2011.3.11現場 鹿折からスタート
安婆山に燃え移れば岩手県に延焼する 何としてもくいとめなければ
の一念でした


気仙沼市内
観光船から続々降りてくるバイク
震災後に設置された避難階段
震災で 23基中1基だけ残ったタンク
復活した石油基地
以前ブログにあげた住所の書かれた札は今も健在でした
捻るように引きちぎられた木

完全な形で残っているのはこのプラントのみ

海に浮かぶ黒い浮きは
今も 流されて行く人の頭に見えてしまいます
建ち並ぶ甍に代わり
南三陸町防災庁舎で合掌
さんさん商店街に寄って解散

2013年10月19日土曜日

バカヤロー って書かれた仏壇

『頑張れ 気仙沼・南三陸 稲刈りチャレンジ杯2013』 講演

亡くなった教官を想うあまりの殴り書かれた仏壇の話
「おとうさんがいるかもしれない」と言う場所の瓦礫を人体扱うように
静かに扱ってもらってどけた話 皆さんの苦しみの深さの一端をお聞きしました

「すっぴん一番」と「さらりと塩のり」を一番刈りの復興新米で巻く贅沢
一番刈りは予想通り最高の甘さ

2013年10月18日金曜日

夜10時過ぎに

都会の街中ならいざしらず ここだけが大きな音を立てて作業中 造成工事

明日に控え

稲刈りカップ いよいよ明日 賞品の山の中で
多くの企業様から また志津川の千葉海苔店さんからもご提供を受けました

ここまで来たか の感

お二人 自転車が志津川の町を走っているではありませんか
ここまで(復興したか) と感激で何枚もシャッターをきってしまいました

や!や!や !

8時30分 大型バスが右往左往? 10台 防災庁舎前

千葉海苔屋さんがなぜか

千葉商店さんばかりが込んでいました
「more1回ソックス」500円

ガラ系レディ

被災地支援イベントで販売される商品のご相談にお客様がみえました
電話番号をそらんじながら打ち込む様子に 
「自分の携帯番号もよくわからない…」という声が聞こえて
ばんばばぁ・ハウスで取り扱っている商品
「ばんばばぁ」の昆布はとても美味しいおだしがでます
お玄関先に干していたオクラの種

2013年10月16日水曜日

台風26号



八幡川 橋の下まで水かさが増し
とうとう溢れてしまいました
右手にみえるジョネットハウスも冠水
週末に予定している「稲刈りカップ」の準備物を搬入するのに
荷台とジョネットのお玄関に両足掛け

正真正銘 door to door
防災庁舎にあげられた花束が流されていました
ジョネットサロンはお休み 代わりに子どもたちが遊んでいました