奥松島市、宮戸月浜
名勝 松島は有名だけれど「奥松島 嵯峨渓」は遊覧船で外海に出るため、海のみどりは一層濃く、動物たちにたとえられる奇岩や白い砂のマイビーチ、干潮のときはボートならくぐれる岩場があって大海原の豪快さも感じる所です。
こういうとき ちいさな遊覧船は船長さんのほのぼのとした案内と、手を加えられていない大自然の景観に、うっとり日常を忘れてしまいます。
宮戸島には縄文文化村があり太古からのひとびとの生活の歴史を見ることができて、小高い大高森からの眺望は 仙台港やはるかな太平洋を見渡せます。
里浜、大浜、月浜・・・と浜には民宿が多く、観光で訪れるひとと、釣りの名所として定宿にしている太公望は多いのです。
また温暖な気候で地形は適度なアップダウンがあり、大学や社会人スポーツクラブの合宿にも評判です。月浜には、新鮮な海の幸は漁業と海苔生産と民宿経営での生活があったのです。。
私も 幾度と無く友人たちや家族と訪れていた、素敵な大事なほっこりできる場所でした。
3月11日の大震災で、浜の20数軒あった民宿や、海苔生産、漁業、家庭生活が見る影も無く破壊されました。
海岸線の真っ直ぐなところの被災地は、ほとんどの瓦礫が移動しています。
しかしこの浜は 洗濯脱水機でガラガラ掻き回されたように、ここにあった生活のすべてが破壊され、まだその場にあります。
地震・津波以来 何度も 後輩律ちゃん(かみの家おかみ)に連絡をしたのですが、4月14日にいきなり「アハハ~~!」と電話があったのでした。「わたしとこ、死んだと思ってたでしょ~~♪」
「海岸ふちの民家、民宿は全部ダメ。 自宅の庭先に船が居るんだよ。うちの民宿部分は少し高いとこだったから助かったけど、避難場所になってずっと30人くらいはいたんだよ」
「まだ電気来ないんだってば。水も自衛隊の水。今は近くにテント張って、そこで順繰り当番でみんなの食事作っている」「みんなしてバカなはなしばっか言って笑っているよ。犠牲者は無し。すごいでしょ。」
「みんな津波が来たら小学校に逃げる、というの知っていたし、隣の浜の人たちも、ギリギリで間に合って我が家に入ったの」
え?この携帯はどうやって?
「アハハ、うちさ、発電機持ってるから繋がったのよ。でももったいないからほとんど切っててさ」
もう・・このあっけらかんさ!に、救われました。
大地震・津波被害の現実を知って欲しい。
なんとか浜の人たちにも、律ちゃんにも本当の元気を取り戻してほしいと思います。
随時 「月浜 かみの家」のルポを載せようと思います。
6月8日記 おかみの先輩
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