説明


2011年3月11日東日本大震災ではあまりに多くの方が数多重被災されました。衷心よりお悔やみとお見舞を申し上げます。

みやぎジョネット(みやぎ女性復興支援ネットワーク)は、東日本大震災を受け、被災地女性と全国支援者の思いを結ぶことを目的に 発足したNPO団体です。各種支援プログラムにより、お一人、お一人の女性が今後の生活を新しくつくっていけますように、ひいては皆の光となることを願い支援してまいります。また、女性のニーズを調査し、政策へ提言いたします。       ―みやぎジョネット会員の多くは被災女性です―

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2011年8月16日火曜日

月浜 かみの家ルポ ⑥






メディ研のS氏とともに月浜・かみの家に行ってきました。

三陸道路は帰省と被災地訪問、罹災無料車両などで渋滞。
ほぼ並行する利府街道を久しぶりに通りました。
スイスイ走行でヤッタネ!

太平洋側からの吉田川、鳴瀬川はきれいに清掃され,野蒜に向かう田んぼの瓦礫や車両も撤去されていて、震災・津波から5ヶ月経ったという実感がありました。

野蒜海岸には決壊した防波堤の臨時工事がされていて、海岸側も通れるようになっています。地盤沈下でできた大きな澱み、野外活動センターの広大な敷地が瓦礫集積所になっていてますます巨大になっていました。
あの美しかった松林は本当にまばらになり、倒木はますます枯れ果てています。

7月末に「かみの家」の近くに仮設が完成して約30戸は満室になりました。
新しい生活が始まっていました。

ジョネットサロンを行った里浜の漁業組合避難所は7月末に全員移動して、数日後に戻り、皆さんで感謝の徹底お掃除をしたそうです。

おかみ律子さんの話によると、
「震災直後は宮戸小学校、それから里浜、そしてこの仮設へとこの5ヶ月間に何度も移動してね、ここは車がないと何にも動きが取れないから、一つ一つの引越しがほんとに大変だったのよ~」

自衛隊も撤収して、その後の役所からの弁当支給もなくなって、いま仮設生活が始まったけれど、困っているのは買い物。

週に何回か 移動販売がやってくるそうですが、ほしいものひとつも 矢本か松島に行かないと買えない。「生協の個別配達が来ればいいかもね~、以前は来ていたのだけど」

空からの宮戸半島の写真を見せていただきました。 
浜と山もありますが、田んぼが20町歩もあったのです。

「かみの家」では自家産のお米と近年は減反部分に大豆を育てて味噌も作っていました。

目の前の海の幸、自家産のお米、味噌、野菜で民宿が成り立っていたのです。
田園はこのたびの津波で堤防が決壊し、海水が入り耕作できない。

かみの家は 民宿部分には家族としての持ち物は置いていなくて、自宅は全壊しました。 
仮設での暮らしは「まだまだ慣れないけれど、ありがたいよね~~」

ご主人とおかみのこれからの構想をお聞きしました。
月浜の青写真です。
 
津波で全壊の浜は公園化して幼稚園や小学生の遠足でこられるところにしたい。
海の幸いっぱいの家族的な民宿に泊まってもらって、ゆっくりできる滞在型の奥松島・月浜にしたい。

海岸で遊び、釣りや漁業体験、シーカヤック、文化財もあり、海の産物の販売もして、いっぱいの人たちに来てほしい。

宮戸を知ろう、という学者や行政の方との集会も今まで行ってきました。
後ろを見るより、前を見たい。
復興についての文化庁から予算が付いた構想募集にも応募する。積極的です。

「月浜かみの家」は 浄化槽が瓦礫の下敷きになりすっかり壊れてしまい、その工事が9月になるそうです。外壁、配水管などの工事もありますが、少しずつ少しずつ前に進んでいますね。

今回の支援物資はシーツと宿泊客用の浴衣。奄美大島の方からの支援物資でした。
「助かるわ~~♪ ありがとうございます!」おかみの明るい声でした。

それにしても 奥松島の深い青の海。
何も変わらぬ潮騒は いっときの現実を忘れさせてくれました。       おかみの先輩

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