そんな思いから美味しいお茶をご提供くださった一心園さん。
説明
2011年3月11日東日本大震災ではあまりに多くの方が数多重被災されました。衷心よりお悔やみとお見舞を申し上げます。
みやぎジョネット(みやぎ女性復興支援ネットワーク)は、東日本大震災を受け、被災地女性と全国支援者の思いを結ぶことを目的に 発足したNPO団体です。各種支援プログラムにより、お一人、お一人の女性が今後の生活を新しくつくっていけますように、ひいては皆の光となることを願い支援してまいります。また、女性のニーズを調査し、政策へ提言いたします。 ―みやぎジョネット会員の多くは被災女性です―
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2011年8月31日水曜日
2011年8月30日火曜日
8月の赤い田んぼ
ほっとするひと時
南相馬行
2011年8月25日木曜日
被災地ボランティアお礼と感想
先日の仙台訪問の折には大変お世話になり、ありがとうございました。
避難所の空気、女性と子どもたち、石巻や女川の風景にふれて、
福岡に帰っても様々な思いが浮かんでは消え・・・自分の日常が変わったのを感じます。
東北の天気やニュースが毎日気になります。
みやぎジョネットの皆さんの温かく真剣な支援、必死の思い、避難所でお会いし、お話を伺えた方々の「このままでは終わらない」という強い意思・・返って私の方がエネルギーをいただきました。
今、地震後のさまざまな問題、いざこざ、将来への不安などが渦巻いているのでしょう。
福岡からも関心を持ち続け、友人たちに伝え、回復、復興へ向けて応援して行きたいと思います。
皆さまの健康そして被災地の復興を心からおいのりしています。
まさよ (頂戴したメールより)
7,80代の方々
70、80代のみなさんから、ごはんはかたく、刻み食といわないまでも高齢者向けの食事を頂きたい、高齢者向けの衣類が欲しい、とお聞きしました。
しかし皆さんが抱える一番の問題は、この年齢で負った心の傷です。ひとまわり以上も若々しくみえる動作から、その深刻さを感じました。
異口同音に、夢はない、やりたいことはない。これからの生活をどうやっていくのか… と。
県外に嫁いだ娘から来るように誘われるが、同居によって起こる問題や友人の顔が見れなくなることを考え、一人仮設住宅で生活することにした、というお話も多く伺いました。
ジョネットでは、皆さんそれぞれに喜んでいただけそうな下着類や、体調を崩した時に重宝する女性グッズをも意識して、いろいろお届けしてまいります。身の回り品へ配慮することで、皆さんのお気持ちが少しでも軽くなればと願います。
しかし皆さんが抱える一番の問題は、この年齢で負った心の傷です。ひとまわり以上も若々しくみえる動作から、その深刻さを感じました。
異口同音に、夢はない、やりたいことはない。これからの生活をどうやっていくのか… と。
県外に嫁いだ娘から来るように誘われるが、同居によって起こる問題や友人の顔が見れなくなることを考え、一人仮設住宅で生活することにした、というお話も多く伺いました。
ジョネットでは、皆さんそれぞれに喜んでいただけそうな下着類や、体調を崩した時に重宝する女性グッズをも意識して、いろいろお届けしてまいります。身の回り品へ配慮することで、皆さんのお気持ちが少しでも軽くなればと願います。
お盆後1週間
2011年8月23日火曜日
ありがとうございました
みやぎジョネット様
昨日は、大変お忙しい中、石巻、南三陸町をご案内いただきまして誠にありがとうございました。
テレビを通じてその惨状を見てはいたものの、初めて現場に出向き、改めて津波の恐ろしさと地域の人々の苦悩を感じました。
また、ジョネットの皆さんの様に、被災地・被災者に寄り添いながら、様々な物資、心のサポートを行っていらっしゃる方々の疲労は相当のものであると感じました。私はたった1日被災地を見学しただけなのに、かなり体力的にも精神的にも疲労を感じました。ご自分のお宅も被災後のままという状態で、被災地への支援を続けている皆さんの情熱の継続に、本当に頭が下がります。
どうぞくれぐれもご無理のないよう、お体にお気をつけください。
また、宮城でお目にかかれる機会を楽しみにしております。
取り急ぎ、お礼まで (頂戴したメールより)
昨日は、大変お忙しい中、石巻、南三陸町をご案内いただきまして誠にありがとうございました。
テレビを通じてその惨状を見てはいたものの、初めて現場に出向き、改めて津波の恐ろしさと地域の人々の苦悩を感じました。
また、ジョネットの皆さんの様に、被災地・被災者に寄り添いながら、様々な物資、心のサポートを行っていらっしゃる方々の疲労は相当のものであると感じました。私はたった1日被災地を見学しただけなのに、かなり体力的にも精神的にも疲労を感じました。ご自分のお宅も被災後のままという状態で、被災地への支援を続けている皆さんの情熱の継続に、本当に頭が下がります。
どうぞくれぐれもご無理のないよう、お体にお気をつけください。
また、宮城でお目にかかれる機会を楽しみにしております。
取り急ぎ、お礼まで (頂戴したメールより)
女川へ念願のミシン & ふるさとのこと
8月19日に女川の仮設住宅を訪問しました。
自分は前日まで、何年ぶりかのふるさと群馬に帰省していました。
心配している両親を安心させたかった、震災と津波でこころが折れそうなときに何人もの同級生から電話やメールや写メをもらい、支えられた、そのお礼を直接言いたかった。
同級生たちは帰省した私の支離滅裂だったであろう話を真剣に聴いてくれました。
家族が被災したこと、自分も仕事ができなくなったこと、支援している私自身が被災地の人と出逢い、逆にいろいろと訓えられ励まされていること、とか。
女川の女性がミシンを必要としている話をした。
同級生たちは私を何とか援助したいと、カラオケで一晩3次会まで相談してくれてたそうな・・(涙)そして翌日、実家までミシンを1台運んできた(感激!!!)。
仙台ではなかなか調達できなかった念願のミシンが11人の同級生に話したら、あっという間に現れた!名前は出さないで、といってミシンを持ってきてくれた男子(今はおやじさん)。海釣りが好きで、あちこちの海に出かけていく。「宮城と新潟は海もいいけど、いいひとばかりなんだなぁ」「女川も行ったよ。きれいだったなあ。 あの浜や町が無くなってしまったなんて、ほんとっ、心が痛むよ」と。
みんな義援金だけではない、何かもっとできることはないのかと考えていることがわかった。
遠くにいても仲間ってありがたいなあ、とつくづく感じました。
久しぶりの帰省で気づいたことがありました。
群馬のひとは声が大きいし、よくしゃべる、我家では、私の声がでかい、と家族から言われる。その理由がわかった気がした。
東北はなだらかな起伏に富んだ地形、関東や西日本とは違う柔らかくてしなやかな樹や草や花がある。繊細な自然が手の届くところにある、葉や風の音、小さな虫たちも気にかけて、ちゃーんと受けとめながら、人と話をする、土の音も聴いている。だから声はちィさい、ちょっとゆっくりかもって思った。
群馬は見渡す限りの関東平野、上州の山からの乾いたからっ風、明るい日差し、夏の雷は地震の地鳴りにも迫るド迫力、その中で思いっきり話す、元気いっぱいの声だ。
役場仮庁舎に女川町復興はがきを求めて行ったら、親切な職員さんが3人いました。見たら群馬県のゼッケンと腕章をしている。行政の支援だそうな。
ここでも群馬とつながりがあったんだぁ。
とてもあったかくて心満たされた女川訪問でした。 tama.o
やっと念願叶い、ミシンの贈呈第一号 |
手縫いの自作カーテン。 ミシンを手にし、先ずはこのような目隠しカーテンを作りたいのだそうです。 |
移動販売車 |
黒煙上げ魚網を焼却処分中 |
有害な硫化水素やアンモニアが発生している瓦礫にオゾン水をかけていました |
赤い北上川
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