私の身内の石巻のOYさんの事です。
家と家業・両親を一瞬で失い、自分も津波に車で水没しました。奇跡的に助かった被災者のOYさんです。避難所では、ひどいリーダーに、意見を無視されていたシングル女性です。
仮設に入居してからは、一緒にジョネットサロンに参加しました。
仙台の”おんなの語り場”では「シングル女性が暮らしてゆける仕事が欲しい!」と発言しました。ジョネットサロン活動に参加して、多くに方に励ましていただきました。
彼女はまだPTSDで・・フラッシュバックもあり、医療を必要としています。
ビルのシャッターの下がる音を聞くと、津波が押し寄せ、車がぶつかりあっている音を思い出し苦しくなるそうです。
彼女は、6月の合同慰霊祭前に、2日がかりで両親の死亡届出してきました。
事情聴取や申述書の記入の際は、身を八つ裂きにされるような痛みを覚えたそうです。
「自分では、もう気持ちの整理がついていると思っていたのですが、体は震え、ペンを持つ手は止まり、込み上げる嗚咽、止められない涙でした。被災から行方不明に至る経緯を文字にすることは、私が想像していた以上にダメージが大きかったです。」
もうすでに両親の死亡を受け入れていたと思っていた私は、悲劇の重さを実感させられました。一見、元気そうみえても、まだまだ苦しい日々だったのです。
しかし、そんな彼女が9月に、会社の経理の仕事が決まりました!10月から就くことになりました。歩いて8分の職場です。とても、近いので、安心して仕事つけそうです。
あの失業あふれる石巻で、40代で就職できたのは奇跡に近いと思います。彼女のファイトの結果です。 それと、皆さまの励ましのおかげです。ありがとうございました。
「生きていれば、やはり・・いい事もあるんだなー」って、彼女の人生を思っています。やはた
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