当時大学生だった私は、震災後の2年間は柴田町で生活していたため、震災の事を忘れかけていた部分もあったと思います。
気仙沼に戻って被災地の現状を知りとても胸がいっぱいになりました。色んな人のお話を聞いて、震災の時どうだったか、「人それぞれドラマがあるね。」という言葉をよく耳にしました。高齢者や子供が居るのになかなか仮設が当たらなくて大変な思いをした方、仮設内で派閥があるのもよく耳にします。また、公営住宅も先送り、先送りになって「いつになったら入れるんだべ。」「おら、生きているうちは無理かもしれないな。」という言葉を高齢者の方から聞きます。
私は、津波で家も流されていないし、家族も無事だったので何不自由なく生活していますが、被災された方の辛い気持ちは本人しか分からないとは思いますが、その方達のためにどうにかして寄り添って「辛い思いをしたけれど1人じゃないないんだな。」と思ってもらいたいと思います。仕事先で、集まった方達に「今日は面白かった。」「久しぶりにいっぱい笑った。」と言われるととても嬉しくなりますが、その時だけの楽しさで終わっているような気がして本当に心に寄り添うのは難しいと思います。
最近は被災地の力になりたいと思うようになりました。また、車で走っている時も「仮設」に目が行き、敏感になったのが私の中の変化です。
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