説明


2011年3月11日東日本大震災ではあまりに多くの方が数多重被災されました。衷心よりお悔やみとお見舞を申し上げます。

みやぎジョネット(みやぎ女性復興支援ネットワーク)は、東日本大震災を受け、被災地女性と全国支援者の思いを結ぶことを目的に 発足したNPO団体です。各種支援プログラムにより、お一人、お一人の女性が今後の生活を新しくつくっていけますように、ひいては皆の光となることを願い支援してまいります。また、女性のニーズを調査し、政策へ提言いたします。       ―みやぎジョネット会員の多くは被災女性です―

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2026年5月18日月曜日

みやぎジョネット設立経緯について

 

草野祐子でございます。

奇しくも311日、発災より15年目を迎え、みやぎジョネットの設立経緯等について誤情報が出ていることを知りました。一部の発信元にご連絡を入れましたが、いまだに応接されておりません。

今なお仮設生活を送り、15年間、相手の目を見て取り組んで参りましたが、活動を顧みて現場での最終支援というのは悩みと困難の連続でした。何らかの制約を受けて割り切った支援とは全く異なります。

誤った設立経緯が広まれば、みやぎジョネットを設立した思いと慈しむように寄り添ってきたスタッフたちの姿が全く伝わらないため、ここで正式な設立経緯をお話したいと思います。 

 

みやぎジョネットの設立については、私から、八幡悦子さんをお誘いしました。彼女は少し考え、その場で了承し、代表を誰にするか尋ねました。私は即座に八幡さんにお願いしたいと伝えました。自分は現場を検討する裏方を担いたかったからです。

 このような経緯ですので、みやぎジョネットの発案は草野祐子が行い、八幡さんには協力を依頼したものです。八幡悦子さんは、みやぎジョネットの設立理念に賛同し、仲間として参加され、心強い協力者でした。

八幡悦子さんと二人三脚で当たれたこと、地元の他団体さんや全国の皆様方のお力添えを頂いて進めることができましたので、一人で設立した団体とは考えておりません。発災直後の慌ただしい設立ですので草野祐子ひとりでは到底できなかったことです。

例えば、八幡さんや他の避難所訪問メンバーがサロンを開いている間に、草野は被災女性個々にヒアリングをすることができ、被災末端の様々な状況を掴むことができました。みやぎジョネットのその後の活動に生かされています。

 

もっとも、みやぎジョネットは『ハーティ仙台さんが理事会の承認を得て被災地支援部門として設立した団体』のような誤解がインターネットなどの情報で流れております。これまでご説明したとおり、それは事実ではございません。ハーティ仙台さんとは別団体であり、上下関係もありません。

 

 みやぎジョネットを設立しようと考えるに至る前のことです。10年ほど前から、生活者の価値と発想を基に多様性を担保する地域づくりの団体を立ち上げたいと考えていた私は、発災当時、特非)せんだい・みやぎNPOセンターに席を置いていました。加藤哲夫さんから多くを学びたいと考えていました。

311日、大きな地震に、習慣から逃げ道確保に走ったものの、揺れに合わせ右に左に振れるドアを押さえきれず、恐ろしさのあまり「お母さん助けて」と声が出ました。

「あす大阪出張だけれど新幹線は動くかな」と言った同僚もいましたが、宮城県沖地震を経験している私は一刻も早く家に帰ることにしました。親族の安否を確認するため少し遠回りになりました。

歩く道すがら、膝掛けを肩に巻き、小雪の中を家路につく若い女性たちを見ましたが、私の記憶の中ではモノクロの音声のない映像となって残っています。体は凍りついたようで、濡れた服を着替えるにもままなりません。鉄筋コンクリートの自宅はしっかりボーリングもしていましたので壊れることはありませんでしたが内部は酷い有様でした。仏様もどこかへ吹っ飛んで行ってしまわれました。

間も無く漆黒の闇夜になりました。隣の家にも向かいのマンションにもたくさんの人が住んでいたのに静まり返っています。たった一人。地球は壊れたんだ、二度と太陽が昇ることはないんだと考えました。大きな余震が小刻みに繰り返し、寒いのでブーツを履いて逃げたくとも足が攣ってしまい履けないのです。

外に逃げ出しては戻りするうちに、いつしか白み始めました。「ああ、お日様って昇るんだ」外を眺めた時の想いはうまく言いあらわせません。

私は石巻市鋳銭場(石巻駅前)の生まれで、果物屋を営んでいた親類の家は北上川のほとりです。震災後は真っ先に様子を見に行きました。

たどり着いた市内はヘドロに覆われ、自衛隊は一輪車とスコップを配っていました。足がネバネバの地面に引っ付き、片足を前に出すこともままならない状況の中で私はきっぱり決めました。

自分の両手を見つめ「この手でできる限り、みなと一緒に歩いて行こう」と。 

みやぎジョネットを立ち上げた後、せんだい・みやぎNPOセンターを退社しました。より被災当事者に近い活動ができる『みやぎジョネット』1本にしました。設立メンバーからは「お馬鹿さん」「仕事を辞めてまで よしなさい」と散々言われました。

 

さて、みやぎジョネットの活動はこれから変化することはあれ、停止することは決してありません。関わりお寄せくださいました皆さま全ての尊い想いがそのままジョネットとなって結実しています。

当初は南三陸町内の女性たちが引き継いでくれることを望んでおりましたが、おそらく不可能と思われます。どこにお住まいのどなたであれ引き継いでくださる方をお待ちします。私自身が何て素晴らしい団体と心から思えるのです。みやぎジョネットは、皆さんが心の拠り所として安堵できる団体です。

あらためて深く感謝を申し上げます。今日まで寄り添い続けてくださいましたこと、誠にありがとうございます。   草野祐子



2026年3月11日水曜日

ご報告


311日を迎え、伺った熊本の皆様や続く大災害の被災地の皆様のことが先ず案じられます。

被災地支援のほか、「女性主流の防災減災」を以後の活動の1本に加え、JCC-DRRに参加させていただくなどしておりますが、足元を見ることで精一杯になり東日本大震災における活動から得た知見を生かしきれていないことが悔やまれます。

勢い頼みの孤軍奮闘状態ではありますが、真心もって今なお寄り添い続けてくださる方々のお励ましを基に、活動は継続しておりました。まだまだジョネットを求められておりますがしかし、極度の人手不足によりこの先の変更を模索中でもあります。

(仙台市内で開催していた福島県の方々のサロンは20259月をもって終了しました)

みやぎジョネットが開催してきた「こころのケアサロン」では、参加しやすい工夫として様々の作り物を取り入れております。その中でも、紙バンドを使ったバスケタリングでは、全国で活躍中の講師より直接個人指導を受け胸を張れるスキルを身につけた女性たちが誕生。そしてその作品は『自立を目指す女性たちへ届けたい』と仙台市内で販売をしており、大変なご好評をいただいております。制作と販売にはそれぞれに元スタッフが入り、確かに素敵な製品に仕上がっています。ご支援くださった皆様へ感謝の気持ちを込めた販売もできないものか検討中でした。(ジョネットのサロンを開催して欲しいとのご要望は仙台市内でも多くいただいております)

みやぎジョネットは、発災直後、宮城県全域と隣接する福島県・岩手県の一部の津波被災地で活動を始めました。その後、南三陸町を中心とした県北に注力するようになったのですが、全域を歩き「南三陸町の女性たちは復興できないのではないか」と強く懸念されたからです。県南の女性たちとは雲泥の差がみられました。そこで、一流の講師陣による多角的な気づきの講座を次々と開催いたしました。被災地故の、何とか立ち上がってほしい、負の被災ではなくできうるなら良しとされる経験に変えて欲しいと願う講師の皆さまの熱意の賜物であり、通常では考えられない厚みのある内容でした。

お送りくださいました被災地へのプレゼントに添えられた個人・企業さまからの沢山のメッセージに、私自身いかほど胸を熱くしたか…  被災された方々に「支援品」をお配りするのではなく、皆さまの想いを全て丁寧に口頭でお伝えしお預かりしたお品をお渡しして参りました。

こうして振り返ってみますと、個人としては、今回の『311』にことさら不快感を感じます。生活が戻ったわけではないからです。『311』の文字列を見ると胃に鳥肌が立つような感覚になります。最も大切な部分が見落とされているからです。

被災を自分ごととして捉えるなら、次の動きが取れる想像力が大切ですし、高みに向かえるチャレンジ精神が発露し自立を目指す人を後押しする行政の機能が重要です。 行き着くところは『基本の教育』でしょうか。                            

               2026311日 草野祐子

 

 

追伸 

被災10年目を迎えた時点で、ご支援くださいましたかた個々にあらためて御礼を申し上げご報告を、と考えましたが、人手不足から叶いませんでした。ブログ更新も無理でした。未だ暫くこの状態は続きそうですが、機会を見てと考えております。

何かご意見やお尋ねしたいことが出ましたら、下記へご連絡をお願い申し上げます。

office@jo-net.org

080-1825-3084  (電話に出られないことが多々ありますのでショートメッセージなどでご一報くださいましたら助かります)