2013エイボン女性年度賞大賞をうけられた石牟礼道子さんの御挨拶
このたび、私に思いがけず、このような光栄な賞をたまわりまして、大変恐縮いたしております。私のようなものに、申し訳ない思いでいっぱいでございます。
現在、パーキンソン病を患い、歩くこともままならず、指の震えのためにペンが握れなくなり、いろんな方々の力をいただきながら何とか執筆を続けている次第でございます。
私は長く水俣病問題にかかわって参りました。
水俣病事件は発覚から60年近い年月がたちました。しかし、今もなお医学的に救済された方も、魂の救済がなされた方もただの一人もおりません。名乗り出ておられない患者さんもたくさんおられます。患者さんたちは国にひとこと「きつかったですね」と言ってほしかっただけなんです。闇に葬られた患者さんたちがどれほどいたことでしょうか。
思えば、水俣事件は、次の文明に進むための「人柱」でございました。患者さんたちは後世の人たちが楽になるよう、痛みや苦しみを背負い、「全部許す」とおっしゃっています。それなのに国は水俣病を隠し、そういったやり方を定型化して残してしまいました。それが福島につながっているようでならないのです。近代合理主義という言葉がございます。そういう言葉で人間を大量にゆるゆると殺されてはたまりません。こういうことが許されていけば、次の世代へいくほどに、水俣病の被害者のような人柱は「合理化」という言葉で美化されていくと思います。
自分の思いを一言も口にできず、50年以上生きてきた胎児性患者や潜在患者の方々は、1分1秒でもこの苦しみから救ってほしいと願っています。まだ何も解決していないのです。不知火海沿岸の調査など、手をつけられていないことがまだまだございます。これからも運動を続けなければなりませんが、もう私にはあまり力が残っておりません。今も苦しんでいる人々に言葉でなくても、まなざしだけでもいいんです。向けていただければ有り難く思います。
2013年3月11日に東日本大震災が起き、多くの方々が亡くなられました。大震災が起きた3月11日は奇しくも私の誕生日で、あの年以来、被災地の方々の苦難を思い複雑な思いで誕生日を迎えています。水俣にいると、福島がよく見えます。水俣や福島のことを考えていただくことが、人間の行く末を考えることだと思います。
「毒死列島身悶えしつつ野辺の花」。これは震災後に詠んだ句でございます。日本は毒の列島になって身悶えしておりますが、野辺には小さな花々がけなげに咲いています。日本はどこまで落ちていくのかと思う時もありますが、かすかな希望は持ち続けたいと思います。
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